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  • Written by Toshikazu Yoshimi

    60才からの挑戦

    Takin’ It To The Streets – The Doobie Brothers (1976)

    ドゥービー・ストリート』(原題:Takin’ It to the Streets)は、アメリカ合衆国ロックバンドドゥービー・ブラザーズ1976年に発表した6作目のスタジオ・アルバムマイケル・マクドナルド加入後としては初のアルバムである。

    イーグルスと並び70年代の米ウエスト・コーストを代表する人気バンドだったドゥービー・ブラザーズ。デビュー以来3,000万枚以上のアルバム・セールスを誇り[4]1979年のシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス[5]」でグラミー賞を受賞

    1970年、Pudなるバンドで活動していたトム・ジョンストン(G,Vo)、ジョン・ハートマン(Ds)に、パトリック・シモンズ(G,Vo)、デイヴ・ショグレン(B)が合流し結成される

    ドゥービー・ブラザーズの名前は、彼らがこの無名時代にバンドの練習を行っていた倉庫で、マリファナのまわしのみをしていたことから付けられた。ドゥービーとはカリフォルニア周辺のスラングでマリファナのことを指すが、練習をしていた彼らのうちの一人が「まるで俺たち、ドゥービー・ブラザーズみたいだな…」と、ふと口にした一言からとられたのだった。

    セカンド・アルバムのレコーディング中にデイヴ・ショグレンが脱退、後任にタイラン・ポーターが加入し、1970年代前半の黄金期を支えるメンバーが揃う。

    1972年、セカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート(Toulouse Street)』をリリース。同作からシングル・カットされた「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック(Listen to the Music)」がビルボード Hot 100の11位まで上昇するヒットとなり[7]、グループは一躍全米規模の人気バンドとなる。

    サザン・ロック色の濃い音楽性に加え、二人のドラマーに黒人のベーシストを加えた、力強いファンキーなリズムセクションは評判を呼び、1973年のアルバム『キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)』からは「ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin’)」、「チャイナ・グローヴ(China Grove)」がヒット。 1974年のアルバム『ドゥービー天国(What Were Once Vices Are Now Habits)』からは「ブラック・ウォーター(Black Water)」が初の全米No.1ヒットとなり[7]イーグルスと並びアメリカン・ロックを代表する人気バンドのひとつとなった。

    しかし、この頃からジョンストンの健康状態が悪くなり、ジョンストンの代役としてバクスターの紹介により、スティーリー・ダンのツアーメンバーだったマイケル・マクドナルドが正式加入する。卓越した歌唱力に加え、スティーリー・ダンで培った作曲能力を持ったマクドナルドの存在は大きく、バンドの音楽性はトム・ジョンストン期の野性味あふれる快活なギターロックから、R&Bの影響を受け洗練されたAOR色の強いものへと変化していった。、1978年のアルバム『ミニット・バイ・ミニット(Minute by Minute)』と、マクドナルドがケニー・ロギンスと共作したシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」はともに全米1位を獲得[7]。アルバムタイトル曲はグラミー賞の最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は最優秀楽曲に輝き[7]、高い人気と評価を確立した。

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