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  • Written by Toshikazu Yoshimi

    60才からの挑戦

    リンダ・ロンシュタット-ウー・ベイビー・ベイビー/Linda Ronstadt – Ooh Baby Baby

    ウー・ベイビー・ベイビー」(”Ooo Baby Baby“)はスモーキー・ロビンソンとピート・ムーアが作った楽曲。モータウンのタムラ・レーベルからのザ・ミラクルズによる1965年のクラシック・ヒットとなった。多年にわたってエラ・フィッツジェラルド、トッド・ラングレン、エスコーツ、ファイヴ・ステアステップス、リンダ・ロンシュタットなどといった様々なアーティストによるて数多くのカバーバージョンを生み出した。ミラクルズのオリジナルバージョンはローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500で266位にランクされた。

    リンダ・ロンシュタットLinda Ronstadt、1946年7月15日 – )は、アメリカ合衆国出身の女性歌手、ミュージシャン。

    米西海岸を代表する音楽アーティストの一人。1970年代にソロシンガーとして開花し、1980年代までトップの地位を確立した。2014年『ロックの殿堂』入り。

    存在が広く知られるようになったのは、契約の関係でキャピトルから1974年に発売されたアルバム『悪いあなた(Heart Like a Wheel)』からのシングルカット「悪いあなた(You’re No Good)」が全米1位を記録してからである。本曲はソウルシンガー・ベティ・エヴェレット1963年ヒット曲のカバー。ここから人気に火がつき、以降、TOP40ヒットを21曲、TOP10アルバムを10作品を世に送り出す。日本でもこの頃から人気が出始めた。続いてシングルカットされた「いつになったら愛されるのかしら」も全米2位を記録。アルバム『悪いあなた』は選曲も抜群だったが、リンダの歌唱が格段に増し、声量豊かな歌唱に微妙な抑制を加えて繊細な表現力が増した。またバンドにアンドリュー・ゴールドが参加し、ビートルズ好きな彼がカントリー・ロックに絶妙な匙加減でポップな味覚を加えた。

    1975年の『哀しみのプリズナー(Prisoner In Disguise)』、1976年『風にさらわれた恋(Hasten Down the Wind)』、1977年『夢はひとつだけ(Simple Dreams)』、1978年『ミス・アメリカ(Living in the U.S.A.)』、1980年『Mad Love』は、いずれも発売直後にプラチナムアルバムと認定され大ヒットした。『夢はひとつだけ』、『ミス・アメリカ』は、全米No.1アルバムヒットを記録。特に前者は、RIAAからトリプルプラチナムを認定されたが、実際にはアメリカで500万枚、全世界で700万枚を売り上げたといわれる。

    グラミー賞は、1975年度最優秀女性カントリー・ボーカル、1976年度は最優秀女性ポップ・ボーカルを獲得。『タイム』1977年2月28日号のカバーストーリーにも取り上げられた。シングル・ヒットとしてはロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、バディ・ホリーの「イッツ・ソー・イージー」などが知られる。アリーナやスタジアムでコンサートを行うようになった最初の女性歌手で、1970年代後半までではロック/ポップ界で最も成功した女性歌手であった。

    1979年に初来日し3月1日から6日の間に日本武道館2回を含む横浜、大阪で計5回の公演を行った。1970年代に日本で人気を博した女性シンガーといえば、オリビア・ニュートン=ジョンやカレン・カーペンター(カーペンターズ)が挙げられるが、彼女たちに比べると来日が遅かった。

    自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流を持つ。恋多き女性として知られ、影にいる男の存在抜きにリンダの音楽キャリアは語れないとまでいわれた。付き合う男の服装の好みで格好を替えるため、ミック・ジャガーと噂があった際はホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露した。また、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したという。イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスをころがせ(Tumbling Dice)」は、リンダのことを歌ったものであり、自身もカヴァーしたことがある。(曲自体はストーンズ70年代初頭のものであり、リンダがカバーしたのは78年で、ミックともステージで共演、交際はしているが、リンダの事を歌ったものとするには時系列的に無理がある)売れない時代の友人であったジム・モリソンとはただならぬ仲ともいわれた。またカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン(民主党)との交際も騒がれ、ジョージ・ルーカスとは婚約したが、結婚には至らなかった。新しい恋の噂は絶えず、リンダは「新聞に書かれるほど、色んな男と寝れたらいいのに」と開き直った

    1982年の『Get Closer』を挟んで、改めて挑みスタンダードに挑戦した三部作、1983年『What’s New』、1984年『Lush Life』、1986年『For Sentimental Reasons』を発表、3枚合わせて米国内だけで800万枚を売り上げるベストセラーとなった。この三部作によって、リンダは次々に登場したMTVのスターたちと競り合う必要のない歌手像を手に入れた。自信を得たリンダは次々に新たなジャンルに踏み入っていく。1986年には、長編アニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「Somewhere Out There」をジェームス・イングラムとのデュエットで大ヒットさせ、1987年にはエミルー・ハリス、ドリー・パートンとの夢の競演アルバム『Trio』を発表、カントリーとポップ両方のチャートでヒットし400万枚以上売り上げた。同じ1987年のアルバム『Canciones De Mi Padre』は、表題通りに父から学んだメキシコのトラディショナル・ソングをマリアッチ楽団の伴奏で歌った冒険作であったが、メキシコ系に熱狂的に受け入れられ200万枚以上を売り、グラミー賞を獲得した。

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