Steely Dan – Deacon Blues/スティーリーダン- ディコンブルース
彩(Aja)」は1977年発表の第6作アルバム。文字どおりスティーリー・ダンの最高傑作と言っても良いでしょう。全米アルバム・チャート3位。ダブル・プラチナム(200万枚)を達成し、商業的にも大成功を収めました。
「ディーコンブルース」はそのアルバムに収録されている中の1曲。
スティーリー・ダンのサウンドは、ジャズやR&Bをベースにした「フュージョン」的色彩を放っています。
そしてそこに、ドナルド・フェイゲンの、あのクセのあるヴォーカルが乗っかると、独特なスティーリー・ダンの定番サウンドが出来上がります。
さらに、今まで聞いたことのない曲構成で予測のつかない流れで進んでいくうちに、サビは鉄壁のコーラスへと突入。間奏に入ると、オーバー・ドライブの効いたギター・ソロが飛び込んでくるあたりで、完全にスティーリー・ダンの魅力にはまっていました。
この世界観は他では感じられませんね。
スティーリー・ダン(Steely Dan)は、アメリカのロック・バンド。
主にドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーによるデュオ体制で活動し、世界的な成功を収めた。2017年にベッカーが死去し、以降はフェイゲンのソロユニットとして継続している。
2000年度『グラミー賞』を3部門で受賞[1]。2001年『ロックの殿堂』入り[2]。世界の作品の売り上げは4000万枚を超える[3][4]。
1972年発表のデビュー・アルバム『キャント・バイ・ア・スリル』からシングル・カットされた「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録[6]した。
プロのミュージシャンとなればライブ活動は必要不可欠だが、本来作曲家としての活動を望んでいたベッカーとフェイゲンは肉体的にも精神的にもきついライブを嫌い、それがやがて他のメンバーとの軋轢を生む。また作品を追うごとに理想とするサウンドとバンドの演奏力の差が明らかになると、メンバーの感情を無視して外部のスタジオ・ミュージシャンを積極的に起用するようになり、バンドとしての一体感は失われていった。73年にはセカンド・アルバムを発表した。
1974年発表のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック』からシングルカットされた「リキの電話番号(Rikki Don’t Lose That Number)」は全米4位と、シングルとしては彼ら最大のヒットを記録した[7]。しかしすでにこの頃はバンド形態は崩壊寸前、同年にジェフ・バクスターとジム・ホッダーがクビにされ、ライブ活動を停止した(デイヴィッド・パーマーは既にクビ)。なおこの年のライブではマイケル・マクドナルド[8]ジェフ・ポーカロ[9]がツアーメンバーとして参加している。76年に4枚目のアルバムを発表。1980年発表のアルバム『ガウチョ』[10]を最後にスティーリー・ダン、すなわちベッカーとフェイゲンのコンビは翌年に活動を停止する。